07 野守 Nomori

五番目物

作者

世阿弥

季節

春

役 cast

シテ
野守の老人、後に のもり 野守 の鬼
ワキ
山伏
間狂言
所の者

あらすじ

  はぐろさん 羽黒山 の やまぶし 山伏 が おおみねかずらき 大峰葛城 に向かう途中、 やまとのくに 大和国 春日の里で のもり 野守 の おきな 翁 に出会います。
 そこには ゆいしょ 由緒 のありそうな みずたま 水溜 りがあり、山伏が いわ 謂 れを聞くと翁は、それは野守が朝夕に おのれ 己 の姿を うつ 映 す“ のもり 野守 の かがみ 鏡 ”であり、またこの野に住む きしん 鬼神 の持つ鏡も同様に“野守の鏡”というと答えます。 さらにこの水溜りは、 おおきみ 大君 の かり 狩 を よ 詠 んだ和歌にも詠まれたと言う翁に、山伏は「鬼神の持つ( しん 真 の)野守の鏡を見たい」と言い出します。
 翁は「鏡が見たいならそこの水溜まりを見れば良い」と言い残し塚に消えてしまいます。

 山伏は真の野守の鏡を見るべく、鬼神の つか 塚 に向かい けんめい 懸命 に祈ります。するといよいよ鬼神が本来の おそ 恐 ろしい姿で現れ、野守の鏡に てんちしほう 天地四方 を映し出したのでした。

ストーリー

 「苔こけの露つゆに湿しめるこの山伏やまぶしの袂たもとに、法華経ほけきょうの教える”衣ころもの裏の玉”*1が入っているのかもしれません。私は出羽国でわのくに羽黒山はぐろさんの山伏です。まだ大和国やまとのくに大峰おおみねの葛城山に行った事がないので、この度和州わしゅう(大和国)に急ぎ向かっています。」
 山伏は夜遅くまで歩き、早朝には旅立つ仮寝かりねの旅を続け、大和国・春日の里に着きます。この辺りの名所について聞こうと人を待っていると、野守の翁が現れます。
 「春日野の飛火とぶひの野守出でて見れば今いく程ぞ若菜摘つむ*2。私は春日野の山と里を守る野守の翁です。ありがたや、春日明神の恵みを受け、春の色に満ち満ち、三笠山みかさのやまは長閑のどかな様子。また秋になれば五重唯識*3の秋の風が里に訪れて、衆生を救済するという真の誓いも直なる*4ことでしょう。
 神の教えのままに野や里を行き帰りし、老いと共に歩みは積もり、ますます神の栄えを仰ぐのです。唐の国にまで名前が知られている興福寺、その昔、阿倍仲麻呂あべのなかまろが日の本ひのもとを想い”天あまの原ふりさけ見れば、”と詠み、春日の三笠山に上がった月に思いを馳せて見上げたのは大陸浙江省せっこうしょうの月でした。ここにはその奈良の都の長閑な景色が広がっています」
*1…法華経”五百弟子受記品”「衣裏繁珠のたとえ」に由来。貧しい親友が寝ている間に着物の裏に宝玉を縫いつけておいたが、当人はそれに気づかずに衣食を求めて放浪し、苦労をした。その後、再開した時に宝玉の事を聞き、その後は豊かな生活を送った、という故事。過去には気づかなかったのに、思いがけず悟りを開くこと、自分では気づいていないものの誰しも仏性が備わっており、その真理に目覚めることのたとえ。
*2…「「春日野の飛火の野守出でてみよ いま幾日ありて若菜摘みてん」(古今和歌集,読人知らず)より引用/飛火野は春日野の別名。烽(ほう・とぶひ)、のろしが設けられていた為その名となる。”春日野の野守よ、野に様子を見に行ってくれないだろうか。若菜摘みは、あとどれくらいでできるようになるであろうか”という春を待ちわびる和歌。
*3…法相宗で説く万法唯識に至る五つの段階のこと。法相宗の大本山が興福寺。
*4…まっすぐである、ありのままである
「もし、そちらにいらっしゃる御老人にお尋ねしたいことがあります。」翁に出会った山伏は、翁に声をかけます。
「どうされましたか。」
「あなたはこの所の方でしょうか」
「はい、私はこの春日野の野守にてございます。」
「野守でいらっしゃるのであれば、ここに由緒ゆいしょがありそうな水溜みずたまりがあるのですが、名のある水溜りなのでしょうか」
「これこそ野守の鏡と言われている水溜りです」
「それは面白そうな謂いわれです。いったいどういった事でしょうか」
「私たちのような野守が朝夕に己おのれの姿を映すので、そう言われるようになりました。また本来の野守の鏡とは、鬼神の持っていた鏡であると聞いています。昔この野に住んでいる鬼がおりました。昼は人の姿で野を守り、夜は鬼となってこの塚に住んでいたと言います。野を守る鬼の持つ鏡なので"野守の鏡"と言われます」
 そう聞いた山伏は、どちらの説も謂れがあって面白い話だと喜びます。
「野守という名は昔も今も変わりません。この水たまりをのぞいてみなさい。いかにも野守の水鏡だということがわかります。己の姿を映してみると、老いの皺しわが清水の波のように見え、昔の自分が恋しくなります。昔を懐なつかかしんでもその甲斐かいはなく、「野守の鏡があればあの人が想ってくれているかみることができるのに」と詠んだ新古今集の歌を*5はもうずいぶん古い昔の話となってしまいました。」
「もしかして、その新古今集の歌に詠まれている「箸鷹の野守の鏡」とはこの水たまりのことなのでしょうか」
「そうです。この水たまりのことです。」
「それでしたら是非、その時のことを物語って聞かせてください。」
 そういう山伏に、翁は昔語りを始めるのでした。 *5…「箸鷹はしたかの野守の鏡得てしがな 思ひ思はずよそながら見ん」新古今和歌集 “故事にある野守の鏡が欲しい。そうすればあの人が思ってくれているかいないか、よそから見るだろうに”( 読み人知らず)
「箸鷹の」は野守にかかる枕詞。箸鷹は鷹狩用に訓練された小さい鷹のことで、秋の季語でもある。
 むかし、この野で御狩みかり*6が行われた時に、鷹たかを見失ってしまった事がありました。
 皆であちこちを探し回っていたところ、1人の野守が来るのに出会いました。翁に鷹の行方を知っているかと聞くと、その翁の申すところ「この水の底に御鷹がいる」というので、何故御鷹が水の底にいるのだと狩人たちがばっと水に寄ってみてみると、本当に白い斑のある鷹が水の底にいるように見えました。
 よくよく見てみるとそれは下の水に木の梢が映った姿で、鷹は梢にいたのでした。これこそ「箸鷹はしたかの野守の鏡得てしがな」と歌に詠まれた由縁ゆえんなのです。よそから見たい、と詠まれたのもこの野守の鏡が鷹を映したからなのです。
 当時はめでたい御代であり、御狩も頻繁に行われておりました。春日野の野守も位のある身ではないながらその場に立ち会い、昔の思い出として話していると涙が出てきます。
 そんな昔の話を聞いていると、山伏は「そんな昔の物語を聞いていると、真の野守の鏡が見たくなってきました。それはこの春日野のどこかにあるのでしょうか」と言い出します。
「思いもかけない事を仰いますね。それは鬼神の持つ鏡、どうして私が見せることができるでしょう。さては、私が春日野の野守だから持っていないはずがないとおっしゃるのですね。鬼の持っている鏡はとても恐ろしいものです。それを見る事は叶いません。鷹を移したと言われるそこの水鏡でも見ておきなさい」
 そう言うと野守は塚の中に入って行ってしまったのでした。 *6…天皇や皇子などの狩をすることを敬っていう語
【間狂言】野守が現れ、再度野守の謂れを語ります
  山伏は、このような奇特な事に出会ったのも今までの行徳の故であろうと、鬼神の住む塚の前で肝胆かんたんを砕いて祈りを捧げます。
「我は長い間、峰入みねいりの修行を積んできた。その法力がまことであるのならば鬼神の持つという鏡を現し、我に奇特を見せたまえ。南無帰依仏」
 すると鬼神が祈祷の力で姿を現します。
「ありがたや。仏法は天地を動かし鬼神を感ぜしめる。土砂、山河草木も成仏できるという仏法に引かれ、鬼神に横道なし*8と言われるように曇くもりない野守の鏡はここに現れたり」
 山伏はその姿に恐れ慄おののきます。
「火打ちのように輝く鏡に映る鬼神の眼光の鋭さに直視することもできません」
「恐ろしいのであれば帰ろう」
 そう言うと鬼神は塚に戻ろうとします。
「待ってください。夜はまだ深い時刻」
「時は鬼神も眠る寅の刻」
 仏法の力によって鏡を映してくださいと、山伏は重ねて数珠じゅずを揉み祈ります。
 すると東方の降三世明王が鏡に映り、続いて南西、北方と鏡を向けていけば全てが美しく鮮明に、天を映せば最高の天界の非想、非々想天*9まで隈なく鏡に映ります。
 大地を映せば、まずは地獄道の有様を現し、そのまま鏡は八丈の浄玻璃の鏡*10となって、罪の軽重、罪人の呵責*11、罪人を打つ鉄杖の数々のことごとくがその鏡に映りました。
「これこそ鬼神が横道を正す明鏡の宝である。さて、地獄に帰るぞ」と鬼神は大地をかっぱと踏み鳴らすと、大地を踏み破り奈落の底へと入って行ったのでした。 *7…3:00-5:00
*8…鬼神は曲がったことや道理に外れた不正はしない
*9…無色界の第四天で三界二十八天の最頂部。「ひひそうてん」は謡では「ひいそうてん」となる。
*10…亡者の生前の罪を映す鏡。閻魔大王が裁く時に用いると言われる。

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Photo by 金の星写真場

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