09 遊行柳 Yugyouyanagi

Yugyouyanagi

能のあらすじ09

本祝言物

作者

観世信光

季節

観世信光かんぜのぶみつの晩年の作品。「道の辺に清水流るる柳陰 しばしとてこそ立ちどまりつれ」という西行法師さいぎょうほうしの和歌に基づき作られた能です。

役 cast

シテ
ワキ
ワキツレ
アイ

老翁、後に柳の精
遊行上人

所の者


あらすじ

諸国を廻る遊行上人ゆぎょうしょうにんが白河の関を超えたところ、老翁が現れ昔の街道を通るよう言います。そこには西行が歌に詠んだ朽木の柳がある、と老翁が言う通り、古塚の上にその名木はありました。老翁こそ柳の精、上人が草木までも成仏できるという十念を授けると、夜、本当の姿で現れ、古今の柳にまつわる話を語り報謝の舞を舞うのでした。

ストーリー

【前半】
 一遍上人の「六十万人決定往生の御札」を配ろうと、遊行上人*1は従僧を連れて諸国をまわっています。上総国をまわり、次は奥州へ行くことにした遊行上人。白河の関を過ぎたところで日も暮れ、分かれ道に差し掛かりました。上人一行が一番広い道を行こうとすると、1人の尉に話しかけられます。上人に従う僧は御札をもらいにきた者かと思い、いくら老いた歩みでももう少し早くきなさいと小言を言います。すると尉は、確かに御札もありがたいが、道案内をしにきたと言うのです。

注)*1遊行上人: 時宗における指導者に対する敬称。

 先代の遊行上人が通った昔の街道を教えるので一緒に行きましょうという尉。遊行上人が前の遊行が通った道を己も通っていると感慨深げにしていると「昔は広い道がなく、森のこちら側にある河岸が街道だったのですよ」と尉は教えてくれます。そこには「朽木の柳」という柳の名木があり、上人の読経であれば草木も成仏すると思われるので、急ぎこの道を行きましょうと尉は言います。

 道は荒れるに任され、人が通った跡ももはやありません。風だけが吹く荒れ果てた古塚の上に、その朽木の柳がありました。川の水も絶え、蔦が這い、青い苔が梢を埋めています。その有り様は長い年月の星霜が降り注いだ姿で、上人は尉にこの柳の事を詳しく話すよう言います。

 尉はこの柳の下に、かの西行法師が涼をとり、和歌お詠みになられた事を語ります。

「道の辺に清水流るる柳蔭 しばしとてこそ立ちとまりつれ」(新古今集)

 尉はその当時を懐かしむと柳の塚にふっと寄りそのまま消えてしまいました。



*3月の前に友を待つ:『平家物語』三「花の下の半日の客、月の前の一夜の友」を踏まえる。

【中入】
里人が現れ、「朽木の柳」について語ります。
*4三寸:酒ノミヌレバ風其身ニ三寸近ヅカズ。故に三寸 と云リ。「古今集註」
【後半】
 里人の話を聞いた上人は、朽木の柳の精と言葉を交わした不思議さを知り、柳のために数珠を繰り読経します。すると、白髪の乱れた、烏帽子と狩衣を身につけた老木の精が目の前に姿を現したのでした。
 柳の精は上人の念仏で草木である自分も極楽往生ができることに感謝を述べます。そして、柳の葉が一葉の舟の元とされている柳の徳、玄宗皇帝の宮殿の前に柳の木が植えられ、歌に詠まれていること、京都の清水寺では朽木の柳が楊柳観音となって出現したこと等、柳にまつわる話をし、再度、上人に仏道へ導いてくれた事に感謝し舞を舞うのでした。
 いよいよ夜明けを告げる鶏の声も聞こえ、柳の精は、青柳と違う老木である己は吹く風にも気をつけようと言うとよろよろ弱々と倒れ伏して、西から吹いた風の後には柳の朽木だけが残っていたのでした。

Photo by 人見写真事務所

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能楽師による
「うんちく」

◾️猩々

本 中世における猩々のイメージは「礼記」「本草網目」「後漢書」「宝物集」「義経記」などに記載がある。共通しているのはお酒が好きである事か。

 能「猩々」ではこの酒を好む真っ赤な猩々に孝子酒泉譚として高風を配し、白楽天の詩の中でも特に「酒」と縁のある世界観の中で、酒徳を散りばめることで祝言性高く、めでたい曲となった。尚、詞章に現れる「菊」「菊水」「三寸」「竹葉」は全て酒の異称である。

◾️乱、双之舞

 能ではスリ足が普通だが、【乱】では波を蹴る「乱レ足」や波に流される「流レ足」といった特殊な足使いで波間を舞い戯れる様を表現する。

 更に今回は小書「双之舞」であり、猩々が二人出て、相舞となる。めでたさも二倍である。

 「乱」のとき、シテが幕の内から扇を広げて登場するのは、舞い出づる心であると聞く。昔は特に断らなくとも、臨機応変に「乱」にしたものだそうで、これらシテの型(所作)の常の演出とは違う変化、また囃子方の手組(演奏)の変化も共に、お互いに対する知らせ(合図)である。能の歴史、奥深さを思い知らされる。囃子方の【乱】の演奏も非常に面白い。大波小波、が伸び縮みして、さながら猩々の戯れる水の波が見えるかのようである。能の囃子の「間」、拍と拍の間隔は一定ではないが、それは殊にこの【乱】において顕著である。

◾️前場について

 現在の猩々は前場が省略された半能形式で上演されるが、「猩々前」の名で伝えら

 れる前半部分が存在し、前シテは童子の体で現れる。前シテの最後、童子は「名残惜

 しいので酒樽を夫婦で持って、あとでまた来る」と言い残し川波に入って行く。

後シテの猩々が高風に「この壷に泉をたたへ只今返し与ふるなり」と言う詞章は、この前場の最後に対応しているからとされている。ただし、完全な形の室町期の謡本の現存は現状確認されておらず、伝存する謡本は全て半能の形となっている。

◾️白楽天

七七二-八四六。白居易、字は楽天。唐代の詩壇を席巻したと言われる大詩人。古来日本で最も愛誦されたと言われる。「猩々」の中に多くの引用が見られる。

公演情報

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